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インタビュー

達也様(手前)と幹大様(奥)の親子

僕は素行が悪かったから
-根本硝子工芸 根本達也様-

東京都江東区亀戸の住宅街にひっそりと佇む根本硝子工芸様を訪ねたのは、桜が満開の2017年の4月半ばでした。

取材班を快く出迎えてくださったのは、この工房を先代の根本幸雄氏から譲り受けられた根本達也様です。

先代の幸雄氏は、平成21年に黄綬褒章を受章なさったほどの伝統工芸士でした。そんな偉大な父親の跡を継いで、達也様が厳しい職人としての道を歩むことを選んだのは、ひょんなことがきっかけでした。

高校時代は、決して品の良い学生ではなかったという達也様は、高校卒業後に、幸雄氏のお知り合いがつくったガラス専門学校に入学します。
幸雄氏の「行ってみるか?」という問いに、あと2年も遊べると考えた達也様は、「行きます」と答えました。

元々やりたくて入った世界ではありませんでしたが、そこは蛙の子は蛙とでも言いますか、卒業後に下働きを始めた達也様は、メキメキと頭角を現し始めます。

作品が日本伝統工芸展で入選するようになると、偉大な父の後継者として、益々いい加減な物は作れないという自覚も生まれてきました。
元々が几帳面な性格であったこともあって、キレのあるカットが精緻に施された達也様の作品は、現在では個人名でブランド化されるほどに評価されています。

普段から仲の良い親子

30歳まではやりたいことをやろう
-根本硝子工芸 根本幹大様-

達也様のご長男である幹大(みきひろ)様は、この世界に入ってまだ3年ですが、こちらも蛙の子は蛙、すでに父親であり師である達也様から、製品の価格について相談を受けるほど、工房の大事な戦力として頼りにされています。

実を言うと幹大様は、3年前までは、音楽で生計を立てるために、ヴォーカルユニットを結成するなどの本格的な活動をされていました。

30歳までは思いっきり好きなことをして暮らそうと考えていた幹大様でしたが、二十歳を越えて数年がたった頃から次第に考えが変わって行ったそうです。
やがて、30歳までには人生をかけてやる仕事を見つけたいと思うようになったのです。30歳まであとあと6年しかないと思った幹大様は、家業である江戸切子に専念しようと決意し、父親の達夫様に相談しました。

職人として生きることの厳しさを思うと、息子に家業を継げとは決して言って来なかった達也様でしたが、幹大様の決意に「やるなら全部やめて来い」と答えます。

音楽をやめて父親の元で本格的に下働きを始めた幹大様でしたが、最初の一年は思った以上にお給料が低く、以前からお世話になっていた飲食店のアルバイトを継続しながら修行をしました。

自分が思っていた通りの作品が作れるようになると、ものづくりの楽しさに目覚め、いつしか江戸切子を一生の仕事にしようと思うようになったと、目を輝かせて話す幹大様の表情が実に印象的でした。

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