高橋工房様
高橋工房
創業 安政年間
木版画摺師として、また版元として代々その技術を継承し今日に至る。
明治10年 二代高橋倉之助は内国勧業博覧会に出品し、大久保利通内務卿より褒章される。
第2次大戦後 四代高橋春正はマッカーサー元帥の招きを受け、GHQ本部内で伝統木版技術を披露する。また、セザンヌの水彩画を木版画にするなど新境地を拓き、版元としても木版画の発展に寄与する。
昭和30年 五代高橋新治郎はシルクスクリーン印刷を導入、木版画との併用など新分野へ進出。
昭和38年 法人組織とし株式会社高橋工房となる。
取扱商品
・伝統手摺木版画(浮世絵、日本画、洋画)
・創作版画家 蔵書票
・工芸品企画制作
(複製画制作および、その軸装・額装、色紙、短冊、団扇、扇子ほか加工品)
・美術印刷、一般印刷
(リトグラフ印刷、シルクスクリーン印刷、オフセット印刷、活版印刷)
・デザイン企画制作
(パンフレット、ポスター、DM、会社案内、販促チラシ・ハガキ、各種小型印刷物ほか)
浮世絵復刻版画-歌川広重-
広重最晩年の揃物「名所江戸百景」は、全百二十図(内一図は二代広重落款、一図は目録)の超大作であり、生涯の画業を総決算する文字通り記念的な傑作である。
江戸の市中と郊外とに渡ってすぐれた景観に四季折々の人事や情趣を探ね、新しい名所を発掘、登録した意欲作でもあった。
西洋的な遠近法の大胆な応用や、連続あるいは切断された時間への鋭い感覚、朝夕の陽の光や夜空に輝く月や星、あるいは地上にともる火影といった光線への鮮新な意識、意外なカッティングやトリミングを駆使した独創的な画面構成などなど、その魅力をあげていけばきりがない。
ヨーロッパ近代の画家たち、モネやゴッホやホイッスラーらが、この名所江戸百景に衝撃的な影響を受け、絵画芸術の方向を決定的に変えて行ったことは人のよく知るところである。
江戸時代の浮世絵版画が彫りや摺りの技術面においても最高の高みに達したのが、ちょうどこのシリーズが刊行された安政3~5(1856~58)年の頃であった。広重は彫師や摺師の表現力を信頼し、彼ら自身の造形面への参加を積極的に許したふしがある。「大はしあたけの夕立」の雨の線を彫る時、あるいは「亀戸梅屋舗」のぼかしを摺る時、彼らがどれほどに仕事の甲斐を感じ、その技を尽くして協力したことか、仕上がった画面を見ていて実によく分かる。
千葉市美術館 館長 小林 忠
浮世絵復刻版画-葛飾北斎-
冨嶽三十六景は、天保2(1831)年~4(1833)年頃にかけて刊行された46枚のシリーズで、刊行時の北斎の年齢は72歳~74歳で、修業を始めてから50年が過ぎる頃でした。
現在の地域で、東京、神奈川、静岡、山梨、長野、茨城、千葉、愛知など各地から見た「不二」の姿を様々に描き、「赤富士」や「神奈川沖浪裏」など、誰もが知っている有名な作品を含む北斎の代表作ともいえるシリーズです。
多彩な摺り技法を駆使する広重に対し、少ない版数で最大限の効果を上げる北斎の木版画で使用する板木は4~5枚で、板の両面を彫り、8~10版の面を使い摺り重ねをして仕上げています。
北斎独特の筆遣いを最大限に生かす彫りの技法を再現するには、熟練した彫師の経験と高い技術が必要です。
オリジナル伝統版画 ピノッキオ -舟越 桂-
世界の名作童話「ピノッキオ」を江戸木版画の技法で再現し、日本古来の様式美を持つ書物絵巻物に仕立てました。
舟越 桂 -Katsura Funakoshi-
岩手県盛岡市出身の日本の彫刻家。東京造形大学卒。独自の世界観を表現した作品が高い評価を受ける日本を代表する彫刻家の一人。